人というのは、つい
「正しいことを言えば、わかってもらえる。」とか
「これだけ正しいことを言っているわたしは悪くないはず。」とか
「だって常識でしょ?」
とか思ってしまう。
子どもたちがいい例だ。
私にも5歳の子どもがいるが、彼はどんなにその「躾」が正しくとも、私が心の刃を剥き出しにしている以上、受け入れてはくれない。
そんな風に、誰もが幼少期を経ているとは思うが、その幼少期に親に正しさを突きつけられて苦しかった思い出がある人も少なくないはず。
しかし大人になるとつい、そのことを忘れて”正しい”という矛と盾を持つようになる。ときにはその矛で人を刺し、盾で守るような社会が出来上がっている。
「正しさ」は人に矢印を向けて(刺すように)使っていいものではない。
自分に矢印を向けて使うものだ。
なぜなら、人はいつも
「正しい」ことを受け入れるのではなくて、
ㅤ
「温かいもの」を受け入れるから。
正しさを求めるのは、対相手ではなくて
自分に向けて求め続ければいいのだ。
(書いているうちに、自戒の念も込み上げてくる・・・w)
それをお互いに理解し合っている人で溢れることが、私の理想とする社会。
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人間関係が、柔らかく温かいものになること。
人の心を「ポッ」と照らせる人が増えること。
そうすることで解決できる問題はたくさんある。
逆に、正しさや正義だけを物差しにしていると
とても危ない。
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いくら正しいことを主張しても、
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相手がそこに不快を抱けば、分かり合えることはない。
正義の反対は、悪ではなく別の正義。
こんな基本的なことも、人はすぐ忘れる。
私も含めて。
なので、私の仕事はデザイナーとして
そういった人間関係にちょっとずつ灯火を灯していくこと
ということにしている。
これは私が社会と約束することと言ってもいい。
自分の生み出すデザインは、人の心を温めるもので在りたい。
それが、椅子や机などの物理的なものであっても。
コミュニケーションや人間関係といった精神的で目に見えないものであっても同じこと。
お腹を痛めて産んだ子に「人に喜びを与える人間に成って欲しい」と願うように
苦楽を経て考え出したデザインにも、人に喜びを与えるものであって欲しい。と強く思う。
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